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1997年4月25日 日本百名山は、1964年にフカダ キュウヤさんにより選ばれた有名な山々です。 その後、1996年に登山家として有名なシゲヒロ ツネオさんが123日かけて登った記録があります。(アシックス / NHK)
ニュージーランドから来るクレイグ・マクラクランとトラビス・タイアロアは、この日本百名山を1997年5月より100日間で登ることを計画しており、おそらく外人としては初めての日本百名山へのチャレンジとなりその日数も成功すれば新記録となります。日本百名山は、南は九州の屋久島から北は北海道の利尻島まで点在しています。 九州に6名山、四国に2名山、北海道に9名山、本州に83名山あり、それらの平均標高は、2200m以上、このうち13のピークは3000m級。 もちろん 3,776メートルの富士山も含みます。 予定は、5月中旬にJALの協力によりニュージーランドから東京へ、ニュージーランド大使館にてメディア カンファレンスを行い、その後大阪へ移動。そこでダイハツの協力により百名山を制覇するための車輌が提供され、九州へ向けて出発します。 九州屋久島をスタートするのは、5月20日くらいを予定しています。 日本全土を北上し最後に富士山でゴールするのが8月の終わり頃を予定しています。 「to find real JAPAN 日本百名山を100日間で!」 彼らは、通常の百名山めぐりと逆コースをとります。これは、北海道の5月の残雪を避け、また西方での夏の終わりの台風を避けるための周到な計画です。 また、彼らはオールウェザー装備ですので危険な雪を避け、北・南アルプスを極力後に登るように常に安全を考慮して計画をしています。彼らにとっては、相当の予算を強いられるので、余分なコストを削減するためにも色々なところで、たくさんのキャンプをすることになります。 日本列島の南端から北端へ、その後本州中央部を攻め最後にこの100日間の終わりに富士山頂で日の出を見ることになるでしょう。 身長約190cmの大柄のクレイグは、以前にも1993年に単独でトレッキング日本縦断3200Kmに99日間で成功しており、この時にも新聞や各種メディアをにぎわせました。この時、クレイグが初めて書いた「Four Pairs of Boots(四足の靴)」は、今もニュージーランドと日本で販売されています。 1995年には、31度をこえるニュージーランド人にとっては猛暑の四国一周1400Km を30日間で歩き、二冊目の「Tale of a Summer Henro」を今年中に出版します。 クレイグ・マクラクランは、1962年生まれのニュージーランド育ちで、日本空手の有段者でもあります。 同じく、ニュージーランド出身のトラビスは、高校卒業後、交換留学生として、一年間日本で過ごしました。 彼等は、ニュージーランドの南島の自然に恵まれたクィーンズタウンに住んでいます。日常はフィヨルドランド地域をベースにトレッキングツアーガイドをしたり、撮影隊のロケーションマネージャーやコーディネーターをしながら生活しており、十分なアウトドア技術と経験を持っています。 彼らは、日本百名山にチャレンジするにあたって自信に満ちあふれており、とても強力なチームです。 クィーンズタウンのInternational Marketing Managerであるアンドリュー・パターソン氏がこの計画のパブリシティーを担当し彼らの世話役を引き受けており、日本での百名山チャレンジ計画の最初の3週間を彼らと共に付き添う予定です。 また、最初の一週間、半ばの一週間、最後の一週間にニュージーランドのテレビ局のクルーが同行する予定です。そしてクレイグとトラビスも、テレビクオリティーの小型デジタルカメラによりたくさんの新しい大自然等のフッテイジを持ち帰ることになるでしょう。彼らは、登山計画の進行状況を許す限りファックスによってジャーナリストのアレックサ・フォーブスへ報告し、アレックサがニュージーランドの各メディアへ情報を配信します。 富士山頂へゴールした後に彼らは本やいくつものアーティクルを書くことを予定しております。 ”NZ Adventure Magazine”や、日本の”山と渓谷”等は既に記事として扱っています。 コスモ石油 ダイハツ 日本航空 丸善食品工業 ミズノ A J Hackett (N.Z) Wish Marine Wilderness Adventure ホームページの画像データは、ビデオ収録素材とスチル素材より抜粋して使用しております。 by Tomoaki Akabane |